山遊び通信 No.187

2024年

新年あけましておめでとうございます。今年も皆さんと山、スキーを楽しみましょう。
巻頭は会長からの報告 ~アクション「わたしのみらい」~ です。

アクション「わたしのみらい」

 スウェ―デンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが始めた「Friday For Future」未来のための金曜日(FFF)が世界に広がり、各国にFFFができました。このFFFなどの環境団体の9月17日に気候危機対策に各国が真剣に取り組むように求めるアクションを起こそうと呼びかに呼応した取り組みアクション「わたしのみらい」が、18日に東京の代々木公園で行われ8,000人(主催者発表)が参加しました。ニューヨークでは、マンハッタンで開催され、75,000人(主催者発表)が参加しました。

 13時45分からPOWのオリジナルステージセッションが行われ、元フリースキースタイルスキーヤー小野塚彩那さん(2014年ソチオリンピックスキーハーフパイプで銅メダル獲得)、パラスノーボードダー市川貴仁さん(2022年北京パラリンピックスノーボードクロス5位)、元アルペンスキー選手清澤恵美子さん(2007年冬季アジア大会ジャイアントスラロームで金メダル獲得)が順番に各国を転戦して、温暖化が進む中で、氷河が解けて消えている現実を目の当たりにした経験や、自然の雪がなく人工雪での競技体験など深刻な状況を選手の目線で語っておられました。

 最後に司会をしていたPOWのスタッフが私たちに訴えました。「私たちの呼びかけに敏感に反応して行動に立ち上がってくれる多くは、18歳や19歳の若者です。彼らは、彼らの未来に危機感を抱いているのです。しかし、私たち大人こそが、子や孫の未来に悲惨な状況を残さないように活動しなければならないのです。若者に任せっぱなしではいけないのです。皆さん頑張りましょう! 一人の人が100の事をやるより100人の人が一つの事をやるほうが力になるのです。一つ一つを積み上げていきましょう」。
 セッション終了後は、代々木公園から渋谷までパレードをしました。先頭にはトラックの上にステージを作って音楽ライブ、その後ろを歩いているのは、やはりプラカードを持った若者たちでした。若者たちからエネルギーをもらう一日でした。

全国スキー協東海ブロック主催・第26 回山スキーの集い報告

「中野豊和さんが語る 妙高/頚城、北信エリアの魅力とバックカントリースキー」
報告者:岐阜スキー協 H
日時:2023 年11 月21 日(火)19 時~21 時
場所:ウインクあいち907 会議室及びZOOM

 今年の東海ブロック山スキー部主催の山スキーの集いには、会場参加者45 名・ZOOM 参加者18 名が集まって開かれた(計63 名)。
 開会にあたり、愛知スキー協のTさんからは「これからスキーシーズンに入るが、学ぶことを大切にして、身近な人にも積極的に発信してほしい。」との話があった。
 ぶなの木スキークラブのK会長からは、「69 名の会員がいる山スキークラブだが、高齢者が多いので、若い人にどんどんクラブに入ってもらいたい。」とのぶなの木や岐阜の山スキークラブアスペンからのクラブ紹介があった。また、1 月27 28 日のスノーフェステイバルの紹介などの愛知スキー協の行事紹介や1 月6 8 日のパウダーフェスi n 栂池や5 月3 5日の立山大滑降などの全国スキー協山スキー部の行事紹介があった。
 パドルクラブのスタッフさんからビーコン等の新アイテムの紹介があり、「今年は新製品は少ないが改良が加えられている。ただ、入荷数が少ないので早めの問合せが必要。」等の話があった。
 今年の講師は、冬はテレマーク、夏は山岳ガイドなどで活躍中の中野豊和さんで、スクリーンに妙高山域の山の写真やテレマーク滑降等の動画を映しながらの講演だった。

中野豊和さんが語る妙高の魅力

 ようやく多数の人の集まりで話せるようになり、久々に都会に来ました。出身は千葉県、妙高に移住して30 年ほど。通年山のガイドをしており、夏山に冬は山スキー、海も好きでシーカヤックもやっています。専門学校講師や、山と高原地図の編集もやっています。

 妙高に行かれた方は多いですが、妙高は長野県ではなく新潟県です。山域としては、妙高山から火打山、焼山、金山、雨飾山への山域で両県にまたがっています。妙高山の写真を見ていただくと春夏秋冬、長野県側、新潟県側のどちらからも景色が良いでしょう。冬は雪が多いです。

 妙高山域の紹介動画を8年前、40 才の時に作りました。山の質、形を感じるのはテレマークの方が楽しめます。私が妙高を選んだのは、山があって良い雪があるという自分の好きなことが出来る条件が揃っているためです。最初は国立公園を管理する、海外のレンジャーのような仕事に就きたい思いましたが、外に出る仕事をしたかったので、ガイドやアウトドアを教える仕事に着こうと思いました。仕事にあたり、一番は安全なので、無理をしないように考えています。

 自分の案内でお客さんが喜んでくれた時は満足感があり楽しいですね。難しいけど面白い。スキーを滑っていて楽しい。スキーは移動の道具で、滑るためだけじゃない。旅が好きなので、そのためのスキーという感覚です。負担が少なく、合理的。パワーで滑るよりスムーズに滑りたいですね。

妙高~雨飾山スキーツアーコース

 これまで焼山は火山活動のため通れませんでしたが、昨年の夏から通れるようになったので、この山域を縦走できるようになりました。小屋が少ないので、今後テント場も整備していきたいと考えています。

 今年の春に妙高から火打・焼山の裾を通り、金山から雨飾・小谷までスキー縦走をしました。

 3 月はまだ笹ヶ峰の林道が開いていないので、三田原山から入りました。黒沢池を越え、高谷池ヒュッテの3階避難小屋を利用し、火打山へ雪の中をスキーで登りました。火打山はどの方向にも滑っていけるので素晴らしい。

 火打山を越えて焼山を越えると金山があり、これを越えると雨飾山があります。3 月で春っぽい感じがありました。金山の手前では火山の岩の間を辿り、富士見峠の近くにテントを張りました。日本海が見え、西に夕陽が見えました。富士見峠からは富士山が見えます。昔この峠は日本海から戸隠を経て善光寺へ行く街道でした。妙高の山域は海からの風が直接当たるので雪が多く、黒姫山に行くと雪がその半分になります。

 裏金山から金山に登ると佐渡ヶ島や能登半島まで見えました。金山はスキーをするためにあるような山で、全く樹のない斜面をかなり長く滑れます。降雪があった後で良い雪、良い天気でした。この日は金山で一日中スキーを楽しみ、同じ所に泊りました。食事用のテントもあり快適でした。金山から雨飾に向かってスキー向きの良い斜面が続いています。広い斜面を下り、雪崩でボトムが埋まった沢を渡りながら小谷温泉に滑り込みました。良い山をつないで行ける良いコースでした。帰りは大糸線に乗って帰ってきましたが、電車から縦走してきた山を見ながら帰るのも良いものです。妙高・火打・焼山・金山・雨飾山のこのコースを「頚城五山トレイル」と呼んでいます。

妙高山での事故事例紹介

 私は妙高山域の遭難対策をやっています。昨年山スキーの事故が多かった。最近ヤマップ等のアプリを使っている人が多いですが、前のシーズンのデータでコース設定をした人があり、このシーズンは雪が少なかったので通れずに事故になった例がありました。

 1 月14日の事故も沢が埋まりきっておらず進めなかった。

 1 月30 日の前山での事故は6 人中4 人とはぐれて2 人が帰って来られなかったが、6 人一緒に行動していれば防げた事故でした。

 2 月2 日の大毛無山ではアライスキー場を滑っていた人が、場外に出て帰れなかった。木が少なくコース境が分りにくいスキー場だが、しっかりコース案内を見て滑って欲しい。

 2 月10 日の大毛無山の事故は自分でコース外に出て帰れなかったのだが、あそこは出たら登り返すしかない所だ。

 2 月12 日の前山の事故は沢に入り込んで抜けられなかったものです。

 2 月18 日の前山の事故は3 名中1 人がルートミスで滑落したが、木に引っかかって帰ってこられた。

 2 月27 日の大毛無山の事故はスキー場内の滑走禁止エリアで出られなくなった事故だった。

 皆さん、注意してください。

質疑応答

(質問)救助要請の連絡は?
(中野)警察に電話をするとGPS で位置確認ができるのでスキー場内ならパトロール、場外なら警察・消防が対応するが、新潟では遭難対策に連絡がある。
(質問)ヘリコプター利用で火打・金山のツアーの対応はできるのか?
(中野)お金があればできる。時間的余裕も必要で、天気の都合もあり、最低3 日、5 日程の時間的余裕があればいい。また、荷物を持ってもらう人の確保も必要だ。
(質問)遭難対策費用は?
(中野)捜索費用は警察・消防対応は無料だが、我々が出動する場合は家族に費用を伝えた上で出動する。保険に入っていれば保険で出るので心配しないで頼めると思う。具体的には冬期1 人1 日5 万円、夜間は+α。我々がスキー場を使って対応するため、リフトや圧雪車を動かすと30~40 万円と高額になる。先シーズンでは1 回80 万円程になったことがある。保険に入っていれば全部出る。
(質問)千葉県で育ち、新潟県に移った経緯は?
(中野)もともと自然に出かけることが好きだった。自然の中へあちこち行ける仕事がしたかった。高卒の時にCW二コルさんがレンジャーの学校を作った。1 期生で入った。レンジャーになるには国家公務員試験の勉強はしないといけないし、なっても結構事務仕事が多く、半分以上事務所での事務仕事がある。海外のレンジャーのイメージは格好良いが、日本では国立公園管理の仕事は公務員的なので、目指さなかった。海が近いこともあって、妙高高原を選んだ。海まで40 分、二コルの学校の実習地は黒姫にあって近かった。
(質問)どうしてテレマークを選んだの?
(中野)妙高高原ではテレマークをしたかった。山に登るのはスキーでと思った。山スキーでもテレマークでも山に行けるが、1996~7 年、マイルドセブンのコマーシャルで山中を滑るシーンがあったのが、テレマークだった。その時は格好良かったよ。
(質問)テレマーク教程が変わったのは?
(中野)変わってはいない。道具が大きく変わったので、道具に合わせた教程に変えた。昔の細いスキー板から今のスキー板に変わったが、技術が大きく変わったわけではない。
(質問)中野さんにガイドしてもらいたい場合は?
(中野)ホームページがあるので、メールや電話をしてもらえれば対応する。「インフィールド妙高」で見てください。


 以上で中野さんのお話が終わった後、会場参加者を対象にお楽しみ抽選会が行われ、ショップから提供されたマグカップ、帽子、小物入れなどが当たった。
 参加者からは、頚城五山トレイルの山の映像が美しい、中野さんのテレマーク滑降が素晴らしい、頚城山塊に山スキーに行ってみたい等の感想が寄せられた。

クラブ員へのアンケート

今号から、クラブ員の方々に順次アンケートをお願いし、御回答を連載することにしました。

H. Kさん

  1. クラブに入ったきっかけ
     スキーは雪山登山の為一人で始めましたが練習(宴会)用にゲレンデツアーも参加していました。職場の関係で前からスキーで付き合いのあった浅井さんに山スキーの会を作りたいと誘われました。
  2. 私が使っている地図アプリ、とそのいいところ
     ジオグラフィカです。他人の足跡はともかく地形図で現在地が分かればと試しに無料版を入れてみましたが充分使えるのでそのまま。(スマホは毛嫌いしていましたが早く乗り換えればよかった。問題は電池ですが、きょうび山小屋(2023 年9 月北アルプス天狗山荘で発見)にも充電用コンセントがあるんですね。私はノーチャージで3 日間もたせました。)
  3. 今までに一番思い出に残る山スキーと出来事
     いろいろあって一つには絞り切れません。最初(クラブが出来る前)は革靴で栂池からの乗鞍。当時は日焼けなんて頭になく一皮剥けて大変でした。それ以来、気を付けています。
  4. ヒヤリハットの経験
     (これもクラブが出来る前)飯縄から西尾根を降りてきたとき地図を見ればよかったのです(戸隠スキー場への道はちょっとだけ山の方に戻るのです)が、そのままスキー場とは逆の方に行ってしまい結局大回りしてしまいました。地図を見る余裕は持つべきですね。今ならジオグラフィカさまさま。
  5. 体力維持、向上で実践していること
     毎週どこかのハイキング大会。

H. Iさん

  1. クラブに入ったきっかけ
     メンバーのOさんにGW 立山に誘われたのがきっかけです。私と妻と友人のNさん、3人で参加しました。妻とNさんは入会せず私だけ残りました。
  2. 私が使っている地図アプリ、とそのいいところ
     特に使っていません。
  3. 今までに一番思い出に残る山スキーと出来事
     最初の立山。室堂ターミナルで大沼さんと合流。その後、ろうそく岩を目指して山崎カールを上り、フィルムクラストの急斜面を一気に滑った爽快感が記憶に残っています。好天と良好な雪質に恵まれたこのときの思い出がなかったらブナ続けてなかったかも。
  4. ヒヤリハットの経験
     ブナ行事ではないですが、蓮華温泉を目指して尾根を下った時、うっかり沢に入ったらサーッと斜面が流れだしたとことがあり、ヒヤリとしました。たまたま小さな中州があり逃れることができました。
  5. 体力維持、向上で実践していること
     早く寝て睡眠を十分とること。暴飲暴食をしないこと。少しは筋肉をつけたいと願うこと。

Y. Tさん

  1. クラブに入ったきっかけ
     山スキーをやる仲間が欲しかったからネットで探しました
  2. 私が使っている地図アプリ、とそのいいところ
     YAMAP。良いか悪いかわからないですが使い慣れてるので
  3. 今までに一番思い出に残る山スキーと出来事
     あまり経験がないですが三方崩山 一回目は自分の技量と体力不足で敗退したが翌年頑張り登頂できたこと。登頂はできたが足が終わっており絶好のパウダーだったがうまく滑れず悔しかったがすごく自信になる山スキーでした。
  4. ヒヤリハットの経験
     初めて久手牧場~大崩山に3 人で行き、そのうち1人が自分の後ろで滑りに手こずっていて待っていたが全然来ず、連絡がきたときにはすでに下山しており自分はルートも良くわからない薄暗い中GPS とトレースみながらヘッデンつけて滑り降りたこと。グループはやはり見える位置で行動しないといけないと反省しました。
  5. 体力維持、向上で実践していること
     普段は登山をしているので休日は極力山に登ってます。

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